基礎知識

八幡

日本の歴史に忽然と現れた八幡神

本誌巻頭で紹介したとおり、日本にある神社のなかで最も多いのは、八幡信仰に関わる神社だとされている。八幡神社や八幡宮、若宮神社などがそこに含まれるのだが、その数は7817社でダントツ1位。八幡の名が付いた町名や、「八幡さま」「八幡さん」と親しみを込めて呼ばれることが多いことから、八幡神がわれわれにとっていかに身近な存在かがわかる。

それほど親しまれる八幡神だが、じつは「古事記』や「日本書紀』といった日本神話のなかにはいっさい登場せず、日本の歴史のなかに忽然と現れるのだ。文献として最初に八幡神が確認できるのが737年で、『続日本紀」に記されている「続日本紀」が完成したのは797年のことなので、8世紀頃に突然現れた神ということになるのだ。

応神天皇と習合し庶民に親しまれる神に

記紀神話に登場しないのに八幡神が多くの人々から信仰を集めている背景には、第5代応神天皇との習合が大きいと考えられる。それによって皇祖神となり、朝廷からの崇敬をも集めたのだ。

天皇家と八幡神の関係の深さをうかがい知ることのできる、歴史的な事件が二つある。一つは聖武天皇による奈良の大仏建立だ。743年、聖武天皇は大仏建立の詔を出した。『正倉院文書』によると、この年、宇佐の八幡神宮から東大寺へと建立費が送られている。さらにこの際、八幡神は「神である私が天の神や地の神を率いて、かならずこの大仏建立を成功させる。あらゆる障害を取り除こう」とお告げを下したとされる。大仏建立という国家の一大事業において八幡神は大きな役割を果たし、その結果として重要な存在へと登り詰めていくことになった。

もう一つが道鏡という僧侶にまつわるものだ。第船代称徳天皇は道鏡を寵愛し、道鏡は法皇の地位を授けられる。769年には宇佐の八幡神から道鏡を皇位に就けるよう託宣があったという知らせがあった。それを確認するため勅使を向かわせるが、宇佐から戻った勅使は正反対のお告げをもち帰った。道鏡を皇位に就けようとしていた称徳天皇は激怒し、勅使を島流しにする。しかし翌年に称徳天皇が亡くなってしまい、結果的に道鏡が皇位に就くことはなかった。

この「宇佐八幡宮神託事件」において重要なのは、八幡神の託宣が皇位継承を左右するほどのものだったということ。この時代、すでに八幡神はそれほどの影響力をもっていたのだ。

もう一つ、八幡信仰が広まる要因となったのが仏教との密接な関係だ。東大寺の大仏建立において多大な貢献を果たし、東大寺の守護神としてまつられ、781年には「護国霊験威力神通大自在王菩薩」の号を贈られることで菩薩の役割も担うようになった。神仏習合の集大成ともいえる存在となり、しだいに庶民にもその信仰が浸透していったのだ。

さらに八幡神は武士を守る「武神」という一面ももっている。このことは源氏が八幡神を氏神としたことでより広がってゆく。河内源氏の2代目である源頼義は、1063年、東国へ進出する足がかりとして、石清水八幡宮を由比ヶ浜に勧請して鶴岡若宮を建立した。のちに頼朝が鎌倉幕府を開いた際に、この鶴岡若宮を遷して現在の鶴岡八幡宮となったのだ。さらにのちの足利氏や徳川氏も八幡神を氏神としたことで、武神としての崇敬を集めた。

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