基礎知識

神社の始まり

開祖や教義がなく社殿さえなかった

日本固有の民族宗教である神道は、ほかの宗教と比べて非常にユニークな特徴をもつ。多くの宗教には開祖がいるのに、神道にはそれにあたる人物がいないことがまずは一つ。イエス・キリストや釈迦のように、教えを広めた最初の人物の足跡をたどればその教えも見えてくるものだが、神道にはそれがないのだ。したがって明確な教えをまとめた教典もない。教典がないのだから布教活動が行なわれることもない。当初は神社の社殿も存在せず、神主という専門的な宗教家もいなかった。

こうして見ると神道の本質は「ない」宗教、あるいは欠けている宗教といえなくもない。それを如実に示す証拠が、出雲大神宮所蔵の「出雲神社膀示図」という絵だ。ここでいう出雲神社とは出雲大社のことではなく、絵を所有している京都亀岡市にある現・出雲大神宮のことだ。

勝示とは領地の境界を標示すること。つまりこの絵は、出雲大神宮の社領を表したものだ。しかし描かれているのは、いくつかの山と鳥居、そして小さな小屋が三棟のみ。現在のような社殿や拝殿のような建物は見当たらない。絵の製作年代は鎌倉時代とされているので、少なくともそれ以前は、社殿さえなかった可能性が高いのだ。

弥生時代の集落跡である登呂遺跡や吉野ヶ里遺跡では、大きな祭殿の復元作業が行なわれている。ここでもふれているが、その祭殿も当時から本当にあったかどうか疑わしい。

また女王卑弥呼に関する記述で有名な『鍵志倭人伝』には、宮室や城柵はあったと書かれているものの、神殿についての記載はない。祭和に関する記述があるのに神殿にふれないというのは、かなり妙だ。このあたりからも、「ない宗教」である神道には、かつて社殿や拝殿すら必要としなかったと考えられる。

始まりの地は沖ノ島と三輪山

2010年に刊行された岡田荘司編「日本神道史』では、神道祭龍の始まりとして、福岡県宗像市の沖合にある沖ノ島と、奈良県桜井市の三輪山を挙げている。沖ノ島は現在、一般人の立ち入りを規制しているが、 23ヵ所の祭遺跡があり、鏡や剣、勾玉など12万点にもおよぶ祭和用の出土品が発掘されている。その豪華さから見て、大和朝廷が主体となって祭を行なっていたのは明らかだ。

現在この地には宗像大社の沖津が建てられているが、それは後世のもの。当初は何もなく、祭は島で行なわれていた。三輪山も同様で、禁足地になっているが、周辺からは祭弛に使われていた出土品が数多く発掘されている。山の驚に大神神社が建てられているが、その創建がいつだったのか定かではない。平安時代の「奥義抄』には、「このみわの明神は、社もなくて、祭の日は、茅の輪をみつつくりて、いはのうえにおきて、それをまつる也」と書かれている。ここから見るかぎり、少なくとも平安時代までは社殿がなく、岩の上で祭祁が行なわれていたことがうかがえる。

神道祭孔の始まりとされる沖ノ島も三輪山も、島や山そのものが御神体。そこに社のような人工物は必要なく、かつての人々は自然さえあれば神の威光を感じ取れたのだ。

-基礎知識

Copyright© 神社バンク , 2021 All Rights Reserved.