基礎知識

伊勢、出雲、春日信仰

私幣を解禁して庶民にも広まった伊勢信仰

伊勢神宮には天皇、皇后、皇太子以外の人間が私的に捧げものをすることを禁じる「私幣禁断」という禁令があった。ぃつ頃まで存在したか不明だが、平安時代末期には朝廷の力が衰えて経済的に支えきれなくなり、その門戸は広い層に開かれ始めることになる。伊勢神宮への参拝を広めるうえで「御師」という存在が大きな役割を果たした。京の都に住む貴族が伊勢に参拝することは容易ではなかった。そこで貴族の祈願や奉幣を取り次ぐ御師という神職が生まれたのだ。その範囲はやがて地方の地頭や武士へと広まっていき、「伊勢参り」と呼ばれ始める。この頃になると内宮は商業の神、外宮は農業の神として、皇祖神をまつる神社から、現世利益を与えてくれる信仰施設としての性格をもち始めた。

一般人の間では伊勢講と呼ばれる組織がつくられていた。1人では伊勢神宮へ参拝する費用を捻出できないため、参加者で一定額を出しあい、くじで参加者から参拝者を決めていたのだ。犬に「伊勢参宮」という木札と銭の入った袋をくくりつけて送り出す、といった話もあったらしい。伊勢信仰の熱狂ぶりがうかがえる。

明治以降になると、ふたたび神聖な場所という趣が強くなっていく。これは政府が、近代天皇制の象徴としての役割を強調したためだ。戦後になると信仰が強制されなくなり、お伊勢さんとして親しまれるようになっていった。

出雲信仰で得られるのは直接的なご利益

大国主命を祭神とする出雲大社といえば縁結びで人気がある大国主命は大穴牟遅神、八千矛神、葦原色許男神などたくさんの異名をもつ。さらに大国を音読みすると「ダイコク」となることから大黒天と習合し、七福神としても信仰されるようになる。これによって、庶民的な存在として知られることになった。

一般に広く知られると、やがて神無月(旧暦の0月)には全国の神が出雲(島根県東部)に集まるという俗信が生まれた。神々が集まるのは人と人の縁結びをするためといわれ、ここから縁結びの神としての信仰が広まっていくことになる。

藤原氏、足利氏の信仰を集めた春日神

いっぽう春日大社の祭神·春日神は、記紀神話に登場しない八幡神や稲荷神のように、歴史のある時点で日本に降ってきたわけではない。さらに天神とも違い、人をまつった神ですらない。

春日大社の本殿には武亮槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の4柱の神がまつられている。同列の存在として若宮神社があり、そこに天押雲根命がまつられている。天児屋根命は中臣 連の祖神とされており、中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神だ。比売神は天児屋根命の妻であり、天押雲根命は息子になる。5柱のうち、3柱は藤原氏の祖神なのだ。

室町時代には、3代将軍の足利義満が春日大社を厚く信仰し、その後、戦国大名のなかにも春日神を勧請する者があった。春日神が藤原氏の氏神である以上、それをまつることは、みずからも藤原氏の流れをくむことを示すことになる。こうして中世から近世にかけて、春日信仰は広がりを見せた。

広く流行するにはみずからに得があると思えることが重要だ。この三つの信仰には、わかりやすいご利益があったため浸透していったのだ。

-基礎知識

Copyright© 神社バンク , 2021 All Rights Reserved.